ちょっと長文です。

親父の17回忌でした。
さすがにもう17回忌なので、家族だけで法事を行いました。

自分にとって親父はとても尊敬できる人で、67歳という比較的若い年齢でなくしたのは、自分としては、とても残念です。
しかし、今でも親父の想いは自分に学びとして伝わっています。
これは、以前のブログに書いた覚えがありますが、今の自分の視点で、もう一度文章にしてみようと思います。

親父の想いとして、自分に伝わっている学びは「決して最後まであきらめない」です。
相変わらず、試行錯誤の日々で、よく落ち込んだりもしていますが、でも「決して最後まであきらめない」という気持ちは忘れてはいけないと思います。

話は、親父の病気も悪化して、もう意識もはっきりしなくなってきたときのことです。
私は「うつ病」が最悪の状態で、毎日のように額を柱の角にぶつけて額を割って流血しているような状態でした。

親父は自分がもう長くないのに、最後まで私の事ばかり心配していました。
そんな親父が意識もあまりないのに、毎日毎日、病院のベットの上に立ち上がろうとするようになりました。
家族は怪我でもしないかと心配していましたが、親父はそれを続けました。

私は「親父はいったい何をしているのだろう?」と考えていました。
ある日、ちょっと話せるようになったので親父に聞いてみました。
そしたら親父は「退院したとき、歩けなかったら寂しいだろう」と答えました。

もう意識もほとんどなく、数日の命の人が何を言っているのだろう?と思いましたが、よく考えたらそれは私への「うつ病は治る、だからあきらめるな」というメッセージだったのだと思います。

うつ病は「頑張れ」とか言ってはいけないと言われていますが、この親父のメッセージに「自分も応えたい」と思いました。
その後、額をぶつけることをやめて、数日で額のかさぶたもとれてきました。

親父の最後の言葉は「額がきれいに戻ってきたな」でした。
やっぱり、親父のメッセージだったのです。
最後の最後まで「決してあきらめない」親父を誇りに思います。

親父が亡くなってから、うつ病が完治し、診断士を取得し、自分の事務所を立ち上げるまでに3年ほどかかりました。
そして事務所を立ち上げて14年がたちます。

未だに試行錯誤で悩んでばかりです。
でも、自分の思い通りにならないことや予想もしない落とし穴に遭遇した時こそ「決してあきらめない」よう頑張りたいと思います。
亡くなって17年たっても、自分に「学び」を思い出させてくれる親父を尊敬します。

写真は先日行った松本城です。
親父とも一緒に行ったことがありますが、ついこないだのような感じです。