自分はつくづく不器用だと自覚をしています。
手先が不器用なのでは、子供の頃からわかっていますが、歳をとるたびに「行動」の不器用さが目立ってきています。
さらに、最近になって自覚してきたのは「行動」だけではなく、「思考」も不器用だということです。

今、少し(自分にとっては)難しい新規研修の企画を練っています。
研修企画を練るために「思考」をしているわけですが、そこで不器用さが露呈しています。

「思考」には「発散」と「収束」があり、「発散」はアイデア出し、「収束」はアイデア評価だと考えています。

「アイデア出し」で使う脳と「アイデア評価」で使う脳は違うと感じています。

「アイデア出し」の時は、とにかくたくさんアイデアを出すことが大切だと感じます。
アイデアの中にはゴミのようなアイデアがあっても問題なしです。


ゴミのようなアイデアがヤマのようにあって初めてキラリと光るアイデアがあるはずなのです。

そしてヤマのようアイデアからキラリと光るアイデアを見つけるには、評価基準に基づいた「思考」が必要です。
自分にとっては苦手な分野ですが、発散しっぱなしでは「思考」は完結しません。

使う脳が違うのだから、同時に「発散」と「収束」をしようとすると考えがまとまらなくなってしまうのは当たり前のことです。
…にも関わらず、自分は同時に「発散」と「収束」をしようとして、一人で大混乱に陥っていました。

この「発散」と「収束」の切り分けを行って「思考」ができれば良いのですが、自分は訓練してもできません。
こういう切り分けができないところに、自分の「思考」も不器用さを感じてしまいます。

相談相手が同時に「発散」と「収束」しようとして考えがまとまらない状態であることはわかるのですが…
それが自分のことだと途端に分からなくなります。