自分の独自の考えでなくても、自分なりに考え抜くことでオリジナリティが生まれると思います。
そもそも、発明家でも思想家でもない自分は、自分独自の考えなんてそれほど多くはありません。

でも、「誰か教わった内容」や「過去の偉人に学んだ考え」を蓄積することはできます。
そういった単なる知識の塊に、「相手のために」「自分のために」「地域のために」などの自分なりの考えが入り込むとオリジナリティが生まれると思います。

「知識の塊」は単なる道具です。
その道具に「相手のために」「自分のために」「地域のために」と自分なりの考えを掛け算し、自分なりに考えぬいて尖らさないと使いこなせません。

自分なりに目的を絞って考え抜けば、「知識の塊」をベースに自分なりの自分の考えを創り上げることができます。
きっとこれが発明家でも思想家でもない、自分のような一般の人のオリジナリティだと思います。

そのオリジナリティに「妄想からの奇抜なアイデア」「自分自身の危うい体験」を加えると、さらに尖らせていくことが出来ます。
使えるかどうかは別にして、このオリジナリティはちょっと大事にしたいところです。

日曜日は前日の新規研修企画の「発散・収束の大混乱問題」を引きずりながらも、「自分だったら何が伝えられるだろう」を考えていました。
結局は進んだのか、停滞しているのかわからないのですが、「発散・収束の大混乱問題」は収束しました。

「混乱」が収束しただけでも、前進と言える…と自分に言いきかせてました。

相変わらず「もっと頑張れ」「いやほどほどに」という自分の中の二つの声に葛藤しています。
しかし、「いやほどほどに」という声にたくさん耳を傾けたほうが、オリジナリティは磨かれる感じがします。

そんなわけで、役に立つかどうかわからないオリジナリティを磨くために「パオパオの墓参り」「頭を軽くする3mm刈り」に行ってきました。