自分の中でおそらく最も悲しい心の動きが「自分を疑う心」です。

「私たちにとって敵とは、『自分を疑う心』です。自分で自分をこんな人間だと思ってしまえば、それだけの人間にしかなれないのです。(ヘレン・ケラー)」
「自分を信じられなければ、そこまでの人」とよく言われるし、多分そうなんだと思います。

自分は、自分に対して自信がないので、いつも「自分を疑う心」が持ち上がってきます。
特に、うつ病を経験した以降は、この気持ちがしつこく纏わりついてきています。

「自分はこのままでよいのか?」「自分のやっていることは正しいのか?」「また、間違っているのではないのか?」…
正解なんてないし、自分で決めたらそれを正々を進めていくしかないことはわかっています。
それでも自分を信じられない自分は、物事を進める上でいつも「迷い」が心にでてきてしまいます。

現に、自分の決定に自信があるときほど、目の前のリスクにはまる傾向があります。
その繰り返しの中で「自分を疑う心」が強くなってしまったのかもしれません。

ただ、最近思うことがあります。
それは「自分を信じる心」と「自分の中の慢心」の意味を取り違えているのかもしれないです。
自分が恐れているのは「自分の中の慢心」の方なのだと思います。

「自分の中の慢心」により、自分の決定に自信をもちすぎて、周囲の声が聞こえなくなっているのでは…と怯えているのかもしれません。
自分がうつ病だった時、周囲の声は全く入ってきませんし、もっと悪いのは声をねじ曲げて自分で認識をしていました。
それに、未だに怯えているのか知れませんね。

「自分を信じる心」とは、「自分の決定」に絶対的な自信をもつことではなく、「自分の決定」を常に自分や周囲に問いかけて継続していくことかなぁって感じています。
それであれば、もう少し「自分を信じる心」を持てる気がします。