新事業支援センターでのマネージャ業務の中で、ある相談対応を通じて改めて考えさせられたことをメモしておきます。
相談に来られた方は、別の方から助言をもらったものの、その内容が自分の考えとどうしても合わずに悩んでいました。
話を聞いていて、ふと思ったのです。「努力の仕方は、その人によってそれぞれ異なる」のだということを、私自身が過去に痛感した経験があるな、と。
人は誰でも、自分の価値観を通して物事を見てしまいます。
これは自然なことなのですが、それが「他者の努力を評価する場面」になると、少し厄介です。
自分の価値観で努力の姿を想定してしまうと、異なるやり方で取り組んでいる人が、「努力していないように見えてしまう」ことがあります。
でも、それはたいてい勘違いです。みんな、自分なりの価値観と状況の中で、精一杯もがいているのだと思います。
少し恥ずかしい話ですが、過去の自分の話です。昔、自分が「仕事ができる」と勘違いしていたことがありました。
そのころ、仕事でよくミスをする人や、成果を上げられない人を見て、「努力が足りないのではないか」と感じていたのです。ずいぶん傲慢な見方です。
ところが、自分がうつ病になったとき、状況は一変しました。
ミスが増え、集中力が続かず、仲間やお客さんにも迷惑をかけてしまう状態になったのです。
まさしく、かつて「努力が足りない」と思っていた人と、同じ状況に自分がなってしまいました。
しかし、そのとき自分が努力をしていなかったかというと、まったく逆でした。
原因もわからないまま仕事の精度が落ちていく中で、今まで以上に必死にもがき、努力を続けていました。
その時期、周囲にはいろいろな人が現れました。
「体調が悪いのではないか」と心配してくれる人もいれば、「努力が足りないのではないか」と言う人もいました。
「努力が足りない」と言われるたびに、自分のことをわかってほしくて必死に訴えました。
しかし、いくら伝えても理解してもらえず、焦りや悔しさだけが積み重なっていきました。どうしようもない、という気持ちでした。
後になって、体調が回復してから、ようやく気づきました。
自分がかつて人を見ていたとき、今度は自分が「努力が足りない」と言われる側に立っていたのだと。
そして、かつての自分もまた、相手の価値観というフィルタを通して「努力していない」と判断していた、あのころの人たちと同じだったのだと。
そのことに気づいたとき、本当に恥ずかしくなりました。
努力の仕方は、その人の価値観や、置かれている状況によって、それぞれ異なります。外から見えにくい努力も、たくさんあります。
自分の一方的な価値観で「あの人は努力していない」と判断することは、してはいけないと、今でも強く思っています。




