長楽寺でパオパオの三回忌をしました。パオパオが亡くなったのは3年前の10/20です。
最後は酸素ボックスの中でしか生きれられなくなったパオパオですが、脅威の27日間生きることを諦めませんでした。

そして3年前の10/20、明け方のパオパオは、いつもと違う様子で家族みんなの顔を順番にじっとながめていました。
それぞれに何かを目で伝えていたのだと思います。

そして、これまでこれまで聞いたことのないような声で「わおーん、わおーん」と泣き続けました。
その声が苦しそうであれば、大慌てになったとおもいますが、やわらかな声でした。

これって「ありがとう、ありがとうって言っているのかなぁ」なんて家族で話していました。
その後、自分は仕事に出掛けてすぐにかみさんから連絡が入りました。

「今、静かに逝ったよ」という連絡でした。その言葉をきいた時、不思議と「悲しい」という感情はありませんでした。
日も酸素ボックスの中で頑張っている姿をみていたので、出てきた感情は「ご苦労様」と「ありがとう」でした。

最近は、ブログとかに登場する機会は減っていますが、一日たりとも忘れたことはありません。
もう会えない「寂しさ」はやっぱりまだありますが、やっぱり出会えたことの「嬉しさ」は計り知れないです。

15年前に、サイズが小さいのでショードッグになれず、しかも病気持ちで売れなくて…我が家にやってきた「小さなシーズー」がパオパオです。
最初にやってきたときは、少し震えていたのを覚えています。

その夜に「大丈夫かな」と見に行ったら、電気の消えた部屋でお座りして尻尾をブンブンふっていました。さすがの適応力です。
「小さなシーズー」は、いつの間にか我が家で「大きな態度」の中心的な存在になりました。

三回忌が行われましたが、その後に珍しく母親、うちら夫婦の3人で喫茶店でモーニングを食べました。
話題はパオパオの話ばかりです。旅立って3年たっても、我が家における存在感が薄れることはないです。