他愛もない話です。歳をとると昔の記憶があいまいになります。
かみさんと話をしていて「昔に京都・奈良に旅行に行ったことがあるけどあれいつだっけ?」という話題になりました。

覚えているのは自分は「車で伊賀を越えた」「東大寺の大仏に会った」という記憶だけ。かみさんも「そうそう」と覚えていました。
一方のかみさんは「電車で吉野に行った」「どちん(私のこと)の無事を祈願した」という記憶。自分は「?」でした。

そもそも、自分の記憶は「車」、かみさんは「電車」で矛盾があります。それに一緒にいるのに「祈願する」って変です。
全く思い出せない2人は、スーパーの買い物で回鍋肉なのにメインの豚肉を買い忘れる始末…。

そんな時の強い味方が、自分の「書き溜めた日記」です。
最近はブログを振り返ることはあっても、手書きの日記まで遡ることはありませんでした。押し入れから日記を引っ張り出しました。

鮮明な記録と共に疑問は解決しました。それぞれが思い描いている「京都・奈良に旅行」は別物でした。
自分は「結婚直後の旅行」でしたが、かみさんのは、東京から名古屋に会社に移籍して、慣れない環境に悩んでいた時期の一コマでした。

自分は慣れないまま、伊賀上野でのシステム導入で週5日間を現地に詰めて心身ともに疲れていました。
たまたま金曜日に名古屋に戻って、翌日の土曜日にまた伊賀上野へ行くことがあり、かみさんが代わりに運転をしてくれました。

自分は夜まで仕事があったので、かみさんはそれまでの時間「吉野に電車で一人で行っていた」ことが分かりました。
自分に、その「吉野」の記憶がないわけです。

精神的にだいぶ参っている…と、かみさんの目には映て「吉野で祈願」になっていました。
日記は出来事だけではなく自分の感情を詳細に書き記しています。「心配かけてホント申し訳ないです…」って。

その後に、本格的に精神が壊れてたわけですが、おそらく壊れた瞬間と思われる日記も見つかりました。
当時の大変だったことを、かみさんと思い出しました。見返して今が本当に恵まれていることも再確認できました。