あまり、ブログで「過去の思い出」のシェアはしないのですが、初めてします。
理由は「パオパオが旅立った日」のことが「過去の思い出」として出てきたからです。

ここ最近は、Facebookの「過去の思い出」にパオパオのことがよく出てきていました。
昨年は、9/27にパオパオが酸素ボックスに入ってから、23日間の「脅威の頑張り」を書くことが多く、必然的にそれが「過去の思い出」に出てきたわけです。

先日に「パオパオの一周忌しました」って書いたばかりなのに、パオパオ離れが出来ていないですね^^

Facebookの「過去の思い出」に何回も出てくるパオパオを見ながら、思わず「頑張れ!」って応援している自分がいました。
それはやがて「もう十分、頑張らなくていいよ」って想う自分に変わっていきました。

テレビの再放送のように「結末」がわかっているのに、思いっきり感情移入をしていました。
昨年の気持ちの移り変わりの体験を繰り返した感じです。

そして、やり切ってパオパオの旅立ちと共に、一旦のストーリは結末を迎えました。
気持が一年前の自分とシンクロしているので、当然ですが一年前と同じく「泣いて」いました。

自分が「パオパオ離れ」できていないおかげで、よいこともあります。
「パオパオ離れ」が出来ていない自分は、定期的にFacebookやInstagramにパオパオとの想い出を書いてしまいます。
すると、パオパオがなくなった後につながった人たちまで、自分の愛犬の思い出を教えてくれるようにったのです。

旅立った後まで「関心を持ってくれる人たち」を増やしているパオパオはやっぱりすごいです!。
唯一、旅立った日で投稿が止まっているTikTok(シーズーのパオパオのアカウント)にも、未だに「哀悼のコメント」が入ります。

自分の中でずっと生き続けているパオパオには、今だに教えてもらうことが多いです。

14年前に、サイズが小さいのでショードッグになれず、しかも病気持ちで売れなくて…我が家にやってきた「小さなシーズー」がいました。
その「小さなシーズー」は我が家に来た初日は、ずっと震えていました。

自分が夜中に「震えていたけど大丈夫かなぁ」って、電気の消えた暗い部屋のハウスを見に行ったら、ハウスの前でお座りをして尻尾をブンブン振っていました。
翌日に「パオパオ」という名前を与えられた「小さなシーズー」は、いつの間にか我が家の大黒柱という「大きな存在」になりました。

そして、パオパオは13年間で数々の教えを残して旅立ちましたが、その後でも「気付き」を与え続けてくれています。
パオパオは、今でも我が家の大黒柱という「大きな存在」のままです。

「パオパオ離れ」は、できなくていいです^^

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