名古屋商工会議所でのエキスパート派遣&IT専門相談でした。

そんな中でコミュニケーションに関して共感する話がありました。
「全部は言わないので、まぁ『察してよ』」という伝達のやり方についてです。

この「察してよ」という伝達文化は、いわゆる「忖度」というヤツもその一種です。
そもそも日本には馴染み深い文化ともいえます。

「察してよ」は、同じような価値観の人が多い世の中では、ある程度通用しますが、現代のように価値観が多様化した世の中では通用なくなってきています。
日常会話ならまだよいですが、認識違いが致命的となるビジネスでは大きな問題につながることも少なくないです。

聴き手の能力を期待する「ハイコンテクスト」と話し手の責任が重い「ローコンテクスト」という区分があります。

「ハイコンテクスト」は「曖昧な表現を好む」「多く話さない」「論理にはこだわらない」などの特徴があります。
「ローコンテクスト」は「単純でシンプルな表現を好む」「明示的な表現を行う」「論理にこだわる」などの特徴があります。

「察してよ」という言葉は「ハイコンテクスト」の具現化とも言えます。
ただし、「察してよ」は聴き手の能力に期待して、話し手が責任を放棄している状況にもなりかねません。
そして、「察してよ」は、リモートワークではまず通用しません。

価値観が多様化し、新しい伝達手法が出てきた今だからこそ、曖昧ではない論理的な伝達の必要性が高まっていると感じます。
コロナ以降、ビジネスでは話し手の責任が重い「ローコンテクスト」へシフトしていると感じます。

逆に日常では「LINEスタンプ」のような「ハイコンテクスト」な場面も増えて、それに慣れてしまっていることも感じます。
今だからこそ「言葉で伝える」大切さの再認識したいです。

お昼に会議所の方と一緒に食べた海鮮丼がとても美味しかったです。