先日の大阪出張でのちょっと恥ずかしい些細な体験を忘れないようにメモしておきたいと思います。
今週末はすこしゆっくりした気持ちで仕事をしていましたが、それに気づいた出来事です。
大阪への出張は、珍しく明るいうちに移動することができました。
ホテルに到着したのが16時頃で、まだ日差しが残っていたため、せっかくなので遠回りをして川沿いを歩いてみることにしました。
夕暮れの川沿いは、眩しい日差しもありながら、とても心地よい空気が流れていました。
特に目的もなく、ただ散歩をする時間。それがとても贅沢に感じられました。
そこで不思議なことに気付きました。
心地よいなと思って歩いていたのですが、なぜか自分が少し涙が出ていることに気づきました。
この明るい時間に移動でき、無意味な時間で散歩ができている。
その状況がとても贅沢な気がしたのと、日々忙しくて心を無くしているのでは…と思ったことが原因のようです。
自分でも考えられない感情の動きでした。確かに最近は心に余裕がありませんでした。
土日も資料を作ったり、色々と考えたりしていました。それは自分としては楽しいので、全然問題がないと思っていました。
ところが今回の出張で、ふと無意味な時間を過ごしたことによる贅沢な気持ち、ありがたい気持ちでほっこりしました。
同時に心が疲れていたのかも…も含めて複雑な感情からの涙でした。
自分では全く気づいていなかったのですが、知らない間に自分で自分を追い込んでいたのかもしれません。
かといって、じゃあ余裕を持たせればいいのかというと、それも違う気がします。仕事は楽しいし、夢中になってやりたいと思っています。
今回忙しい中で、ふとできた時間で自分らしく余裕を持って素敵な風景を眺める時間を持てたこと…。
そこから得た心地よい感情が、ほっとして涙となって現れたのだと思います。
なかなか自分は自分のことを分かっているで分かっていないものです。
追い詰められるような仕事が続くと、いつの間にか自分で自分を追い詰めているということになるようです。
子供じゃないのでそんなの当たり前かもしれませんが、改めて気づかされました。
仕事に夢中になることは大切ですが、ふと立ち止まって「無意味な時間」を過ごすことの価値も、同じくらい大切なのかもしれません。




