名古屋市新事業支援センターでの今週2回目のマネージャ業務です。

小気味好い言葉のキャッチボールが起きる相談が多くて、楽しい時間を過ごさせてもらいました。

そんな中で、今回はChatGPTの話から「哲学的」な話題になることがありました。

マザー・テレサさんが「人はしばしば不合理で、 非論理的で、自己中心的です。 それでも許しなさい。」 と言っていたそうです。

完璧でないから人間なんでよね。

それにしても「人は不合理で、非論理的で、自己中心的」ていう言葉。うん、自分も間違いなくそうだと思います。

「不合理」は道理に合わず、また論理的にも筋が通らない矛盾のことです。そんなの当たり前です。

いつも冷静に論理的に思考、判断ができる人はスゴイと思います。そんなChatGPTのようにいつも冷静ではいられないです。

「非論理的」もそれに近い言葉です。

「非論理的」とは、論理に合っていないさま、筋道が通っていないさまです。

不思議なのは、自分は「論理的」だと思っている人ほど、「非論理的」に論理の飛躍が目立つが多いです。

論理整然と思考しているのですが、それを表現する際に飛んじゃうのではないかと思います。

「自己中心的」は自分を客観視することや、自分とは異なる価値観があることを理解することが苦手な状態です。

そうではないけないと思いつつも、いつのまにか自分の価値観を中心に据えてしまっています。

自分の意見なんて、人の数だけある意見のひとつにすぎません。

それに特別感を感じている人は、間違いなく「自己中心的」なんでしょうね。

自分も振り返ると「不合理で、非論理的で、自己中心的」の部分が往々になります。嫌になっちゃいます。

マザー・テレサさんの言葉の「人」を「自分」に置き換えて「自分はしばしば不合理で、 非論理的で、自己中心的です。 それでも自分を許しなさい。」にすると心がホッと落ち着きます。

ITとは遠く話題のように感じますが、「人」の部分をいろいろと置き換える(例えば「AI」や個人名)と心が広くなった気がします。

さらには、「 それでも許しなさい。」を「だからいい。」に置き換えると、もっといい感じです。