仙台で11/7~8で仙台で「人に教える技術」研修をしてきました。
この研修は自分の失敗事例のオンパレードです(自分の研修ってそんなんばっかり(;^_^A)
そこでも、少し話した内容です。

これは、とてもよく聞くセリフです。
お恥ずかしながら自分も昔はよくこの言葉を言っていました。
口に出して言わなくても心で思っていたりしました。

自分が「うつ病」になってリタイヤするまでは、メンバーに対して「こんな簡単なことがなぜできないんだ!」と本気で思うことがありました。
その時には「自分がやった方がマシ」と思うことも多かったです。

自分が「うつ病」になって、それが治って社会復帰した時になんて恥ずかしいことを考えていたのだ…と感じました。
なにもできなくなった自分を体験したからです。

「自分がやった方がマシ」という言葉は自分が最も気を付けている言葉の一つです。
「自分がやった方がマシ」の言葉の弊害を三つほど考えてみました。

まず「自分がやった方がマシ」と思う場合は、相手のよいところを見つける努力を放棄している場合が多いです。

自分が相手のよいところを見つける努力を放棄したならば、相手にも自分のよいところは見つけてもらえないでしょう。
いわゆる「分かり合えない状態」に陥ってしまうことがあります。

次に「自分がやった方がマシ」と思う場合は、自分の狭量を周囲に晒している状態です。

口に出して言わなくても態度には出るものです。
自分の狭量を周囲にさらしている人とは、普通の人は分かり合いたいとは思わないと思います。

最後に「自分がやった方がマシ」と思う状態は、自分の過去の失敗を忘れてしまっているか、過去の自分の失敗は自分ではなく相手が悪いと思っている場合に思ってしまいます。

人は失敗を必ずします。
その失敗を忘れずに次に活かすことが大切だと思います。

ただ、その失敗を忘れてしまっていると「自分がやった方がマシ」と思ってしまうでしょう。
ましてや「失敗は相手が悪い」と考えてしまっては、常に「自分がやった方がマシ」と考え違いをしてしまうことになります。

「自分がやった方がマシ」と思う状態は「人が育たない」状態をつくってしまいます。
「自分がやった方がマシ」と思っていた過去の自分の恥ずかしい体験から、その弊害を書いてみました。

仙台でのAER展望テラスからの夜景はキレイでした。